向井康二の軌跡 幼少期から関西Jr時代 SnowMan加入まで 愛されキャラの理由 

すのエピソード

サイトにお越し下さり、ありがとうございます^^

時間がなくて、なかなか過去のエピソードを調べる時間がないTT
康二がどうやってSnowManになったのか知りたい!


そんな人、この記事を読めばアイドル向井康二の今までを知ることができます♪

幼少期~入所まで

向井康二 プロフィール

ムエタイ道場で人生を変える出会い

タイで生まれ、幼少期の一年ちょっと、タイで過ごした康二。

タッキーの同伴でタイに来ていたジャニーさんがムエタイ道場を訪れた際、そこに飾られていた康二の写真を見てスカウトされました。
その時の写真がこちら。

引用元:X

こんな美少年、そりゃスカウトされますよねって納得でしかありません。

1日に5回も電話してくるほどの熱心なスカウトに心を打たれ、康二ママはジャニーさんと会う事を決心します。
康二はママに連れられ、大阪城ホールへ。
その時の事を振り返った康二は「その時はジャニーさんの膝の上で漫画を読んでて、ジャニーズアイドルになるなんて思ってもいなかった」と話しています。

だけどこの時、康二ママは入所をいったん保留にします。
当時康二は小学校2年生。
もう少し大きくなってから入所する事に。
その後、2006年10月8日に入所します。

関西ジャニーズJr時代

長く険しい道の始まり

事務所に入所してからは一緒に入所した兄・達郎さんと一緒に「ムエタイ向井ブラザーズ」として
活動。

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達郎さんが2009年に退所したので、ユニットは解散。

ここから康二は色んなグループを経験します。
・Little Gangs(2008~2009)
・Shadow West(2009~2012)

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・Kin kan(2012~2015)
Kin kanは当時関ジュを引っ張っていた人気グループ。
向井康二、平野紫耀、金内柊真(現在は退所)の3人で構成。

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なにわ皇子(永瀬廉 、西畑大吾、大西流星)と合わせて「なにきん」と呼ばれ、関西ローカル番組「まいど!ジャ~ニ~」に出演、関ジュを盛り上げていました。

焼け野原と言われた時代

2014年にWESTがデビュー。
2015年3月にはKin kanメンバー金内柊真君が退所。
6月に平野紫耀君、永瀬廉君が東京へ進出、キンプリとしてデビュー。

デビューするのではと思われていた「なにきん」が突然活動を終了。
この時の関ジュは「焼け野原」と呼ばれていました。
当時を振り返って康二は

自分もそのフレーズ、何回か使っちゃったけどヒドイよね反省している。
支えてくれたファンに失礼だったなって。
人によっては焼け野原に見えても、あの日の関西Jr.を応援してくれた人には、キラキラした花が咲いて見えた。
そこに確かに愛があったんです。
焼け野原って言われるのはしょうがない。でも、俺や関西Jr.のメンバーが言うのは違う。
ファンを傷つけてしまったなって反省してる。

と話しています。

そして関ジュをお兄ちゃんとして引っ張ったのが、康二。
室龍太君、西畑大吾君、大西流星君の3人と力を合わせて関ジュを盛り上げ、立て直しに尽力しました。

絶望、だけど諦めなかった

2018年に「なにわ男子」結成。
そこに康二の名前はありませんでした。

その時映画を見ててケータイの電源入れたらメールや着信がたくさんあった。
騒ぎになってるなと思ったら゛なにわ男子結成゛って。
何で俺おらんの?って冷静じゃいられなくて映画館の駐車場の陰でしばらく泣いたな。
何かドンッて突き飛ばされた感覚というか。今まで頑張ってきた意味は?って頭の中がぐちゃぐちゃで。

この時の康二の気持ちを考えると、胸がぎゅうっと苦しくなります。
きっと今までの頑張りを否定されたような気持ちだったと思います。

辞める事も考えますが最後まで足掻いてみようと、企画書を作ってジャニーさんにプレゼンする為に東京へ。
その企画書が実現する事はありませんでしたが、諦めなかった結果、人生を大きく変えるオファーを受ける事になります。

SnowManの生みの親、タッキーに「SnowManに入れたいんだけどどうかな?」と打診されたのです。

大きな転機 SnowManに加入

関西Jrからの卒業

加入は20分で返事したんです。
たった20分って思うかもしれないけど、俺にとっては1ヶ月とか、それ以上の長さに感じた。
返事の早さってすごい大事だから。
分刻みで状況が変わるような世界で、タイミングをちょっと逃しただけでチャンスを掴めなかったことなんていくらでもある。SnowManの加入は関西を離れることを意味する。
加入したからってデビューできる保証はない。
ただ俺からしたら最後の光なのは間違いなくて、悩み抜いて゛喜んで゛と返信しました。

人生の大きな選択を20分で決めた康二。
それだけ切実な思いを抱えていたんでしょうね。

一つだけお願いといったら変ですけど、伝えました。
SnowManのメンバー6人が僕を受け入れてくれるなら、ぜひ行かせてください。
あとSnowManファンの皆が受け入れてくれるのには時間がかかると思うんですけどいいですか?って。
完成されたグループにわけ分からんもん入れるって、俺がSnowManのファンだったら「は?」ってなるもん。

それは愛されてる証拠というか。
今までのファンにも愛してもらえるように頑張ります。
少しだけ時間を下さいって滝沢くんに伝えて。

関西でのキャリアとファンを置いて、東京へ身一つで飛び込んでいくのはどれだけ勇気がいる事だったか…。
康二を東京へ送り出した、関ジュの仲間とファンの気持ちを考えると、この時の康二の覚悟に感謝しかありません。

ファンとの感動的エピソード

私が初めて知った時、感動して号泣した大好きなエピソードがあります。

なにわ男子に康二の名前がなかった。
その後のコンサートで、康二の立ち位置が2列目になっていた。
MyojoのJr大賞の恋人にしたいJr部門で20位だった。

この当時の康二担は本当に辛く、胸が痛い状況が続いていました。
そんな時、その時まで「面白いJr」部門でのランクインを目標と語っていた康二が、初めて「恋人にしたいJr」部門にランクインしたいと口にしたんです。

その言葉を聞いたファンは必死で投票する事に。

当時のファンの人のブログを読んでいると、投票用紙を持ち歩き、少しでも時間があれば記入して投函を繰り返していて、その努力と熱い思いに胸が打たれます。

SnowManに加入する事が発表され、康二に対して容赦なく厳しい言葉をかけられているのを目にしながらも「Jr大賞でランクインすれば認められるかもしれない」とひたすら投票し続けます。

そして康二は前年の20位から順位を大幅に上げ、2位に輝くという快挙を果たします!!

引用元:X

当時の康二担が、康二に送った最高のプレゼント。
関西を離れても、東京に行っても、ずっと応援している、見守ってるよ。というメッセージ。

その気持ちは康二にも、しっかりと届いていました。

「この年のMyojoJr.大賞2位で救われた気がしました。嬉しかったな。」

とデビューしてからのMyojo一万字インタビューで話しています。

ファンと康二の気持ちが通じ合った瞬間ですねTT

愛され守られる人 向井康二

SnowManに馴染むまで

西と東の大きな違いに悩み、苦しんでいた康二。

トークのリズムや間。関東、関西の笑いの違い。
やっぱり試行錯誤というか、加入したからには俺が8人の新しい面を引き出さなきゃって意気込み過ぎてたのもあって
最初は余計に空回りしたかな。
正直浮いてた(笑)
色々悩んでカウンセリングみたいなのも何回か受けたりしてね。

カウンセリングまで受けていたなんてTT
康二の場合、住む環境も何もかも変わったので、メンタルの部分でかなり辛かったんじゃないかと思います。

何回空回りしても、このグループに全てを捧げようって決めた瞬間があって…。
滝沢歌舞伎の時、舘さんとサシメシに行く機会があって。
いきなり真剣な顔で言ってくれたんです。’’入ってきてくれてありがとう’’って。
なんかもう涙が止まらなくなっちゃって。
やっぱり受け入れてもらえるのか不安な部分もあったから。
でも、そのひと言で不安も迷いも全部消えた

舘様TT
舘様は普段言葉は少ないけど、本当に熱い心を持った人ですよね。

他のメンバーも加入組に対して今も「入ってくれてありがとう」という気持ちを持ち続けているところが、大好きですTT

優しくて繊細、感受性が豊かな人

康二の優しいエピソードを調べると、キリがない程たくさん出てきます。

いつもメンバーの事を気遣い、色々してあげてますよね。
SnowManは誕生日にメンバー全員で一つプレゼントしますが、その時の取りまとめも康二がしてくれるとメンバーが話していました。

自分がたくさん傷付いてきたから、人の痛みも分かってあげられるんだろうなと思います。
涙もろくて寂しがり屋で、家族とメンバーの事が大好き。
ファンの事も本当に大事にしてくれていて、毎日ブログで労いや励ましの言葉をかけてくれる。

向井康二を愛さずにいられる訳がないんですよね。
これからもずっとずっと、周りの人に愛されていて欲しいと思わずにいられません♪

コメント

  1. 田中真美子 より:

    こーじさいこうすぎて
    (´;ω;`)

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